後輩の訃報に接して

 昼過ぎに学生時代の友人から訃報のメールが届く。
 学生時代のサークルの後輩で、享年54歳は若すぎる。早速、弔電を打つ。
 去年の2月、学生時代を過ごした京都にサークルの仲間が集まり、その時に会ったのが最後となってしまった。その数ヵ月後に、癌の疑いで治療をしているということを知り、8月には彼を囲んでサークルのOB会が開かれたりもした。
 彼は脱サラでPCシステム関係の会社を起こした。会社は平安神宮の近くにある。またバンドのリーダーでボーカルを担当し、京都でライブ活動もしていた。東京住まいで行けるわけないのに、チケットを買ったこともある。
 彼から活動を伝えるサイトを教えられ時折見ていたが、ある時 「事情により、しばらくの間ライブ予定はございません。改めて報告致します!」とあり、その後は詳しく見ることはなかった。
 ところがである。
 訃報の知らせが届いてから、彼のサイトを少し丁寧に見ていて・・。
 彼の日記(タイトルは「EVERYDAY I HAVE THE BLUES」)が綴られていた。そして掲示板もあるではないか。
 悔やんだ。その存在を生前に知っていたら小生もコメントしていたのだが。
 日記は去年の7月から始まり、宗谷岬まで旅をしたことやバンドの活動のこと、医者とのやり取りや薬のこと、そして社長としての発言、さらに彼らしいウイットのある社会風刺などで綴られ、最後の方で携帯から打ち込んだ「闘病」日記になっている。
 「一度は三ヶ月の余命宣告され 今まだ医学的には延命途中であろうと、僕には夢があります。」「わしには次の夢があんにゃで!ほんまたのんまっせ。」「体調はかわらずの一日」「まあ 神様 仏様 よろしゅう御頼み申しあげます。」 「今日も一日終わり、結局今日はどこか良くなったところはあるのかな?とりあえず自分を信じて、一つずつ進む。」
 そして8月22日、「人生最大のピンチの二日間だっだ。ようやく今少しは気がしっかりしたので、書き留めておく。まだ底があるんかな?」 これがの最後の日記。
 ご冥福を祈る。

 彼の日記を読み、サークルの仲間の絆を感じた。同級生の仲間が見舞いにかけつけ、そのことに感謝するコメントも書かれていた。懐かしい名前もある。

 今夜、当時の仲間から電話をもらう。小生の学年からも3人が通夜に列席したそうだ。もちろん後輩も大勢かけつけたことだろう。
 サークルは「放送局」で、彼は制作部に所属してシナリオを書いていたが、部室でよくギターを弾いていた記憶もある。当時は、まだ映像はなく音だけの放送局だった。キャンパスが騒然としていた時代で、「夜明けのスキャット」や「戦争を知らない子供たち」のメロディーが口をついて出てくる。彼はそういう軟弱な♪曲は嫌いで、ボブ・ディランとか陽水や加川良だったかな。

 彼に小生の俳句のことを話したことがあるが、関西弁で「なんで俳句やね?」と不思議がっていたことを思い出す。
 あらためてご冥福を祈る。どうぞ安らかに。

訃報享く八月最終日曜日  研一 
by ken28-575 | 2006-08-28 01:15 | 俳句あり | Comments(0)


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